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薙が考えた事を考えもせずにつづるところです。
体罰について思うこと

体罰を受けた生徒が自殺するという事件がありましたね。
ニュース番組などで体罰をどう考えるかという話題も出ていたので
薙なりに考えをまとめてみようと思う。

まずはじめに賛成か反対かということだけども
「どんな理由があろうとも生徒に手を上げるのは許されない」
というのを反対派だとするなら、薙は賛成派になる。

もちろん条件がある。
大きく分けて2つのパターン。

1つは双方に信頼関係があること。
つまり、生徒が「自分にためにやってくれているんだ」と理解できる関係であること。
使い古された言葉だけど、いわゆる「時に厳しく時に優しく」というやつだ。
お互いの人間関係が成立していないのに殴って言うことを聞かせるのは
主人が奴隷を鞭打って働かせることとそう変わり無い。
特に運動をする部活動では体罰指導が多いと聞いたけど、まさに
競馬馬に鞭打って走らせるようなものではないか。

もう1つは体罰に正当な理由があること。
ここは体罰の内容と理由、体罰を受ける側の性格など多様な要素が関わるので
はっきりしたことはいえないけど分かりやすい判断材料として
体罰を受けた生徒が、体罰を受けた理由を話せるかどうかというのを考えた。

例えば、長距離走の途中でへばったから殴って走らせたという場合。
生徒は「体力の限界で辛かったのに、殴られて走らされた」といえる。
教師が非難されても仕方ない。

では、部活の練習をサボって友達とタバコを吸ってたのを見つかって殴られた場合。
生徒は殴られた理由を、胸を張って言えるだろうか?
いや言えはしない。

しかし上の長距離走の例でも、問題にならない場合もある。
それが、最初のお互いに信頼関係ができているという条件だ。
もちろん、もし生徒に「暴力を振るわれて無理やり運動させられた」と言われたら
体罰の正当性は主張しにくいものとなる、というリスクはある。
しかし生徒はそんなことは言わない、それが信頼関係というものだと思う。

生徒を自殺させた教師は、生徒との信頼関係が足りていなかったのではないか?
信頼関係がしっかりしていたところで「運動がしっかりできてなかったから殴られた」
と主張されたら非難されても仕方ないというのは前述の通りだけど、
問題には発展しにくかったはずだ。
生徒との信頼関係がしっかりしていて生徒のために行った体罰であれば
体罰を受けた生徒が「不当な体罰を受けた」と主張しても、
他の生徒や教師からフォローが受けられそうな気もするし。

まとめ:教師による生徒への体罰が正当化されるパターン

1つは人として許されざることをしているなど、誰の目から見ても
明らかに生徒が悪いと分かるシチュエーション。
もう1つはお互いに信頼関係ができており、生徒が体罰を受ける理由を
理解も納得もできているシチュエーション。

ちなみに、その体罰の内容についてだけども。
上の、体罰が正当化される状況において
「これに当てはまれば何してもいいの?」
と間の抜けた意見はご遠慮願おう。
薙としては、体罰なんて平手打ち一発で十分。
二発以上は余分(過剰な暴力になる危険が高い)と考える。
むろん、物を投げつけたり、タバコの火を押し付けたり、
みんなの前で服を脱がされて裸で座らされたり、
スカートの中に手を入れられたり、ちんこ出してあれこれしたりなどもってのほか。
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